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プロジェクト概要
飛田新地エリアの建物のデジタルアーカイブの作成を通じて、地場の文化やその意匠上の構造について研究し、地域コミュニティとの共創を通じて作品へと昇華させる。Studyと銘打たれた芸術祭において落合が興味を持ったのは、時代と共に変わっていくもの、変わらないもの、気付かないうちに消えていくもの、法的な境界線の変動などや万博などのナショナルイベントが街や建物や内装にどのような変化を与えるのかという疑問、そしてその変化によって「刻み込まれた痕跡」の可視化である。例えば近年、特に東京2020オリンピックの際に当局の取締を皮切りに、街の性風俗文化が大きく変化したのは記憶に新しく、ストリップ劇場や性風俗店の摘発などが多く行われた。落合は街の治安の維持行為として当局の決定に理解は持てるものの、大衆「文化」の一部として語られたものが街から消失してしまうことに危惧を覚えている。人や環境が変われば,蓄積された人類の痕跡はなくなってしまう。社会的通念・善悪・倫理・法解釈など多くの議論はあって然るべきだが、建物や内装など質量あるものが失われれば、議論することもできなくなってしまう。人なき飛田新地の街をデジタルで構築する三次元の空間をアーカイブする活動を通じて、地場の文化を理解し、この風景を基点としたデジタル作品を作り出したい。
協力:Emohaus Inc.、飛田新地料理組合
アーティスト
会場
飛田会館は飛田遊郭組合・帳場組合・娼技組合という三つの組合の会館として、昭和12年に建設されました。当時、大正7年に建造した木造建築がありましたが、結核やスペイン風邪の流行による感染症対策のため、20年足らずで以前の建物から現在の建物に建替られました。会館の一室には、大阪陸軍本部 西成憲兵隊支所があったこともあり、詰所宿直室などが今も残っています。
2F旧検査場
公娼制度の時代は、医師が床下に待機し、穴の開いた床の上を女性たちが歩く形式で検査が行われていました。検査の日、女性たちは各遊郭でお揃いの着物を着用し、魔除けとして玄関で刃を上に向けた出刃庖丁をまたいで外出したそうです。問題がなければ表から帰り、検査で引っかかると、裏から別の病院に行き、2週間の治療後に再検査を受診し、問題が無ければ復帰となりました。
天井にはクーリングファンを備えるなど、当時最新の陰圧室仕様で、不治の病と恐れられていた肺結核などの感染症対策にも力を入れていました。
3F会議室
飛田新地の参入には株制度を取り入れ、株さえ購入すれば誰でも参入でました。この会議室は株の説明会の議場として使われていました。